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時空を超えて…深蒸し茶を味わえる幸せ

 拙方の、近く喜寿を向かえるであろう父は今、緑生い茂る横浜・若葉台を安住の地と定め、毎朝近隣に借りた畑へに赴いては野菜の栽培に余念がない日々。
 かつては東京・丸の内の本社勤務を振り出しに名古屋→東京・渋谷→広島→宝塚→東京本社と高度成長時代にあっては典型的な転勤族のサラリーマンを勤め上げ、代表取締役にはなりゾコなったものの(笑)、定年退職後は地元若葉台連合自治会の老人会に属し専ら近隣の幼稚園・小・中学校へ出掛けては幼少時の戦災体験の語り継ぐ老父。

 父方の実家は戦前、東京・蒲田にあり、金属加工の町工場を営んでいました。
 かつての町名は「新宿町(しんしゅくちょう)」と言い、今の大田区役所から環状八号線にかけての辺り。





 父が懐古するに、祖母は先の大戦に出征した祖父に代わり町工場を切り盛りしながら、当時は幼少の父に語っていたと言います。

「呑川の向こうにあるお茶屋さんのお茶は実に美味しい

 ここで、カンのいいブロガー様におかれてましては、ピンと来ていることと存じます。
 祖母が茶葉を買い求めに赴いていた「呑川の向こうにあるお茶屋さん」とは、そう、お茶屋の和さまのお店、蒲南茶荘であるらしいのです。





 この地図だとわかりにくいかもしれないが、東西に流れる呑川を基準にとると、北に蒲南茶荘があり、南に我が父方の実家があったという位置関係になります。

 さて、昭和20年3月10日、東京大空襲により多摩川の土手から対岸の川崎大師の鳥居が焼け落ちるのを見届けるしかない中を焼け出され、世田谷区下馬2丁目へと父方の一家は移り住むこととなります。
 世田谷に構えた居の隣が自前の製品設備を持つお茶屋さん(屋号は忘失)で、やはり茶葉を買い求めるにとどまらず長年に渡り懇意にさせてもらってたそうです。
 それでも拙方の祖母は父に言っていたのでした。

「呑川の向こうにあるお茶屋さんの味が忘れられない」

 時空を超えて、和さまの深みとコクのある美味しいお茶を堪能できる幸せは祖母の遺言によるものと、しみじみ想いにふける次第。
 もっとも、お茶屋の和さまのブログを読了してお茶に関する知識が増えてまいります。
 そうすると、いろんなシーンで様々な機会に飲茶することがあるなかで、舌が肥えたせいか(笑)、まれにホントに美味しいなっていうお茶に巡り逢うこともあります。

 でもですね、紫宝をはじめとした蒲南茶荘の品々がもつ
「香りに深みがある」
「コクと甘みが絶妙」
「淹れた茶葉のモチがいい」
の3つが一挙に叶う銘柄はなかなかないのです。
 まさに

「お茶屋の和さまのお茶は忘れられない」

そう思っております。
 今、この記事を書きながら、京都・松栄堂のお香「芳輪 堀川」を燻らせ、生八ツ橋をつまみつつ「紫宝」を淹れて楽しんでおります。

 この瞬間が、拙方の一番の至福のひとときなのです。


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